作者より。|小説「イルカのキリー」公式サイト(新風舎刊)

小説「イルカのキリー」販売ページ ~ 人はもっと、やさしくなれる。(新風舎刊)

作者より

 小説を書くような人間になるなんて、思いもよらないことだった。なぜなら僕のまわりには、それを侮蔑する人間の方が遙かに多かったし、今でもそうだからだ。

 僕はただ少しの教養の一種としてしか、それに親しんでいなかったのだが、僕の経験に基づけば、それさえもおそらくは世間一般のレベルからは遙かにかけ離れていたはずである。僕にはいくつかの愛読書があった。何度読んでも読み返したくなる本があった。高校生自分には三年間を通して、とある作家の一つか二つの作品しか読んでいなかったほどである。そういった人間のたどり着く顛末としては、これはやはり正しいのかもしれない。ただし自分には「同好の士」や「聡明な先師」などという、ご大層なものとはまったく縁がなかったが。

 小説という表現をはなから侮蔑する人間に始終囲まれて育ってきた人間にとって、それが人生の目標にならないのは自明かと思う。あるいは「成功」は、むしろそうした人間の侮蔑を強めるだけとも思えた僕は、いつしか「表現」というものは、おしなべてその人間の「生(Life)」のみと深く結び付いているべきであるという念に強く囚われるようになり、結果としてそれまでの自分と他人との関係の記憶の底めがけて深く沈み込むこととなった。それは今になって思えば、たかだか人間の足の裏と地面との間の隙間を、数万光年もの距離に拡大して見つめ続けるような生活であり、野心やご機嫌取りとはまったく無縁の、しかし何者にも決して成ることのない時間だけが、ただ無闇と過ぎ去っていった。

 イルカのことは好きではない。と言うよりも、特に嫌いとも好きともどちらとも感じていない。僕がイルカに関して不愉快に感じているのは、せいぜいマスメディアでの安易で幼稚な取り上げられ方についてだけなのだが、その点に関しては今でもまったく変わっていない。それではなぜそういった人間がイルカの話を書いたのかというと、それが単にもっともよく、現時点での僕と世界との関わりを表現しうる手法と思えたからだ。つまりはごく個人的なエゴイズムに基づいているわけだ。

 最初はごく短くて可愛い話のつもりだった。母親イルカとその子供のイルカの会話を乱雑に書きつけ始めた時点では、それは至極簡単なようにも思えた。しかししばらくして混獲の描写とそれに伴う母親の死、そして「四角」という言葉が出てきて物語が二部構成に分かれるに至っては、ついには冗談では済まされなくなり、僕はその作品を前にして途方に暮れた。そこにはまさしく、僕という人間の、ちっぽけだけれどもそうとしか言いようのない「業」そのものが、そのまま立ち現れていたからだ。

 明らかにこれは当時の僕の力量を超えていた。今でもそうかもしれない。しかし同時に、これを越えなければ人間として次の段階へいけないという思いにも、強く囚われていた僕は、そのまま誰にも相談することなくこの作品の執筆にのめり込むようになった。せめてこれを読んだ読者のうちの何人かが、この主人公の子イルカとこの物語を通して、自らの依って立つ世界を、もう一度その根源のさらに奥から見つめ直す一助にでもなればと願いながら。

 この作品を書いている最中、世間では本当にいろいろな出来事が起き、そして通り過ぎていった。でも個人的なことに限って言えば、ほとんど何も起きなかった。ごくごくわずかに給料が増え、そして体重がそれ以上にはるかに増えたぐらいだ。今日も、十年前とほぼ変わらずに揺れ動く窓の外の光景が、それをまさしく一瞬の出来事のように見せている。

 人は例によって、いまだにこの作品に僕の人生の告白を見るのだろうか? しかしそれはやはり馬鹿げたことだと言いたい。僕はむしろそうしたやりとりに決着を付けたいとも願って、この作品を書いたのだが、しかし同時にこの作品が、個人的にこの作品に課したいくつかの制約故に、否応無しにそうとも理解できる作品になってしまっている事も確かなのだ。それ故に、おそらく人はやはりこの書に告白を見いだすのだろう。それもまたいいのかもしれない。ムキになってそうした見解に異を唱えるのには、僕はもう齢を取りすぎてしまった。

 「雑草という名の草は存在しない」とは誰の言葉だったか。偽善と嘲笑に食い荒らされ、いつしか人が、この作品をまるで、わずかばかりの雑草だけが生える空き地のように見つめるようになったとしても、それでもそこに生きているのがどうしようもなく一介の植物であることに変わりがないのと同じように、この作品もまた、ただの「文字の塊」であるが故に、わずかでも何かを誘い続け、そして導き送り出してくれるに違いないのである。

 あとはただ、時の流れがすべてを決めるだろう。

三上憲一拝

更新日: 2007/ 8/ 4
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